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  • 2011.12.29 Thursday
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気になる99%除菌

 年末で大掃除の時期が来たせいか「99%とか99.9%除菌するクリーナー」のCMが数多く放映されている。入れ歯洗浄剤やマスクなどにも「99%除菌」というキャッチフレーズでCMを流している商品が出てきた。

 99%と言う数字を出されることで、逆に「何匹のバイ菌が残るのだろうか」と考えてしまうのは、私だけだろうか。バイ菌というものは通常「億」単位で存在する。仮に1億匹のバイ菌がいたとして、その中で99%除菌しても1%の100万匹は残ることになる。『強力殺菌』と言われれば素直に信じてしまうのだが、数字を出すことが私にとっては逆効果になっている。

 ただ、あれだけ多くの商品が数字を出して宣伝しているところを見ると、99%という数字はまだ効果があるのだろう。数字というものは、本来持っている意味とは別の「不思議な力」を持ってくる。

 コンピュータなどに使われる部品で「10万年に1回しか故障しない部品」を使っているという話を聞いたことがあるが、その部品を10万個使っている場合,毎年1回は故障する可能性があると言うことだ。限りなくゼロや100%に近い数字を見せられて、単純にスゴイと感心しては駄目だ。

 数字は『客観的』なものであるが、だからこそ数字によって大きな誤解を受ける人もたくさん出てくる。今回の原発事故で「100%安全」なものはこの世に存在しないことが明白になった。どんなものでも事故が起きる可能性はゼロではない。自動車も飛行機も、事故で死者を出すこともあるが、利便性が被害を上回っているから使われている。原発も便利な発明なのかもしれないが、万一のことが起こった時も、利便性が被害を上回っているから我慢しろと言えるのだろうか。

 数字のトリックに騙されてはいけない。

優しい言葉

 初めてラジオ番組の構成を手がけた時のことだ。4月最初の土曜日の生放送だった。ベテランアナウンサーが担当していたワイドショーなので、ディレクターは新人の私でも大丈夫だと判断されたのだろうが、直し直しの連続で前日の金曜日は放送局で徹夜する羽目になった。

 何せ初めての番組構成だったから、自分自身ではどこが悪いのかわからない。ディレクターの指示で直しを重ねて、結局貫徹になった。その時の私は、デビューできる喜びよりも理由もわからず駄目出しをされる悔しさや力不足への情けなさの方が大きかった。好きで入った世界だったはずなのに「何でここまでやらされなければいけないんだ」という被害者意識が無かったかというと嘘になる。

 ディレクターやパーソナリティから優しい言葉などひと言もかけてもらえかった。後になってわかったことだが、「直し」で徹夜するなどプロの世界では当たり前のことだった。収録の1時間前に新しいアイデアが浮かんだら、作ってきた台本を破り捨てて書き直す。2日徹夜して出来上がった台本も、修正が入ったらさらに徹夜して一から作る。どんなベテランでさえ、いやベテランになればなるほど、自分にも周囲のスタッフにも厳しくなってくる。

 時には愚痴ったりもしたが、その時に「大変だね」とか「無理するなよ」といった優しい言葉をかけてくれた人たちは、ものの見事にこの世界から消えていった。人気番組をたくさん生み出しているディレクターや先輩作家からは「辛いと思ったらこの世界から足を洗った方が良いよ」と何度も言われた。

 優しい言葉をかけるのは簡単だし相手にも喜ばれる。ただ、それで良い番組は作れない。

 和気あいあいとした雰囲気づくりも大切だが、馴れ合いになったらその番組は確実に打ち切りになる。若いうちに先輩から優しい言葉をかけられたら、まだ一人前として認められていないと思って間違いない。一生懸命やっているのに注意され、怒られ、何とかしようともがき続けて行くことでしか、人間は成長しないのだ。

 楽して生きていけるほど、今の世の中は甘くない。

もういくつ寝ると

 大変な年になった2011年もあと1週間で幕を下ろす。テレビや新聞ではいつものように今年の重大ニュースを取り上げているが、大震災も原発事故も欧州危機も増税問題も、どれも継続中の問題ばかりで、とても今年を総括する気にはなれない。

 あと1週間しか残っていないというのに、まだ何か起こるのではないかと言う不安がぬぐえない。仮に何も起きなかったとしても、来年2012年は「大変化の年」の大本命である。1999年もノストラダムスの大予言やコンピュータの2000年問題などの終末予言が流行ったが、何故か今のような不安感は感じなかった。

 マヤの予言に関しては、単に「暦の区切り」が来るだけで大きな変化はないと考えている。ただ気になっているのは、最近何かのトンでも本で読んだのだが「予言を当たり外れで見てはいけない。怖いのは予言を当てようとする勢力がいることだ」という言葉だ。

 オウム真理教が起こした無差別テロも人為的にハルマゲドンを起こそうとしたものだったし、何よりも驚いたのは、医者や国立大学を卒業した頭の良い人たちが、そんな子供じみたバカ話を信じて人の命を奪う犯罪に加担していたという事実だ。

 人間は頭が良くなりすぎたせいか、カッとした一時的な感情だけではなく、自分自身を納得させられる『大義名分」さえあれば、理性的に殺人を犯すことができる。

 戦争を将棋やチェスなどに例える人もいるが、自分の駒をひとつも取られることなく相手に勝つことなどできない。実際の戦争では、その駒ひとつひとつに大勢の命が宿っているのだが、勝つためには「犠牲は当然」と考えてしまうことが本当に怖い。

 去年の今頃は、まさか今年がこれほど大変な年になるとは予想さえしていなかった。変化の年といわれている来年は、一体どんな年になるのだろうか。

なぜ広島「東洋」カープなのか?

 広島では今、カープ猛者列伝などの本を書かれた堀治義氏の「衣笠祥雄は、なぜ監督になれないのか?」という新書が各書店でベストセラーになっている。今年のカープは一時期クライマックスシリーズに出るんじゃないかと期待させる時期もあったが、結局、定位置の5位に終わった。今シーズンのCS争いは、決してカープが強くなったからではなく、セリーグの他球団がセパ交流戦で大きく負け越してくれたおかげだ。

 広島は「お金が無い」ということを言い訳にしてFAには参加しないことを宣言している。去年、初めてその禁を破って横浜の内川を獲りにいったが、広島市民は彼がカープに来てくれることなど誰も期待していなかった。

 今までにもカープは、江藤・金本・新井と3人もの4番打者をたて続けに放出し、今年は栗原までもが真剣にFA宣言するかどうか悩んでいた。栗原がボソッと語った「球団が、自分を必要としているのかわからない」という言葉は、これまでFAで出て行った大半の選手が言っていたこととまったく同じだ。新井選手などは「一度FA宣言をして、他球団の自分に対する評価を聞いてみたい。年俸を上げてくれなくてもカープに残る」とまで言ったのに、カープはそれを許さなかった。

 監督人事も異様だ。低迷が続いて外人監督に変えた時も「カープの事情を理解している人物で無ければダメ」というオーナーのひとことで、カープOBのブラウンが監督に就任した。コーチングスタッフも、全員、カープOBで構成されている。まったく結果がでなかったコーチも、不思議と辞めない人も多い。入団契約の時から「現役引退しても球団で面倒を見る」と約束しているのでは無いかと勘ぐられるほど、どんなに成績が悪くても責任は問われない。

 その反面、高橋慶彦や巨人にFA移籍した川口など、どんなに他球団でコーチとしての実績を残したカープOBでも、絶対にカープに帰ってこない人もいる。

 それに不思議なことに、最近の(現オーナーに代わってから?)カープの監督は、全員が大卒だ。野球に学歴など関係ないと思うのだが、衣笠が監督になれないのも「高卒だからではないか」とも言われている。この調子で行くと、高卒でカープに入団した緒方コーチも前田智徳選手も、多分監督にはなれない。

 また、現オーナーは現場に口を出すことでも有名だ。私の記憶によれば、金本がFAで阪神に行った時には「緒方だけは絶対に出さない」、新井の時は「東出は出さない」と言うコメントが地元紙に載っていたような気がする。球団幹部になっている息子をアメリカ行かせて直接選手を見てくるのも、カープならではのことだろう。素人が選手を見て何がわかると言うのだろう?

 選手を素人目に見ても、オーナーの好き嫌いで決めているとしか見えないし、強いチームにしようという思いなど全く伝わってこない。メジャーに行った黒田にさえ、帰ってきて欲しいと言いながら、年俸はカープにいた時と同じ3億円までしか出せないと明言している。今のカープは金持ちでは無いが決して赤字球団ではない。市民球場からマツダスタジアムへ移って観客は大幅に増えたし、その気になれば、サンフレッチェと同じように地元企業や市民に少しずつ株を買ってもらうことも出来る。

 今のカープが市民球団ではなく単なる個人商店である理由は、球団名=会社名にも表れている。広島「東洋」カープ。この「東洋」という言葉は、マツダの前身である「東洋工業」から来ている。前オーナーがマツダの会長だったことからこの名前がついたのだ。今のカープとマツダはまったく関係ないのだけれど、何故かいつまでたっても「東洋」という言葉が外れない。

 強いチームにするために他球団のOBも積極的に受け入れ、広島東洋カープという名前から「東洋」という言葉が消えた時、初めてカープは再生するのではないかと考えている。その日が来るまで、残念だがカープが優勝することは無いだろう。もっとも、それまで球団が存続していれば、の話だが・・・。

放射能のジレンマ

 福島原発の事故で放射能の影響が問題になっている。○○マイクロシーベルトなら大丈夫だとか危険だとか、色んな人が色んなことを言っているが、こんな状況で「復興」を進めても良いものかどうか疑問を持っている。

 福島の復興を応援しようという運動に反対するつもりはないが、本当に危険なのならば、住んでいた人には申し訳ないが故郷を捨ててもらうしかない。チェルノブイリ復興運動など聞いたことはないし、もしそんな運動があったら、被災地に住む人でも「大丈夫なのか」と感じるだろう。

 先日、復興運動の一環として福島でマラソン大会が行われた時、外国では「チェルノブイリ・マラソン」のような感覚で報道していたマスコミもあったそうだ。これほど大きな原発事故が外国で起こっていたとしたら、日本のマスコミも「そんな場所でマラソン大会をするなんて自殺行為だ」と書いていたかもしれない。

 東日本は本当に大丈夫なのか?

 避難区域外は安全なのか危険なのかを断言できる人はいないのだろうが、わかったことはすべて公表して欲しい。事故発生当初の対応のまずさが、政府や自治体、マスコミへの不信感を生み、今もなお消えていない。「実は東京も危険なんだ」などというネット上に飛び交う噂に一喜一憂してしまうのも、国やマスコミへの不信感が原因だ。

 実際、私のまわりにも福島から避難してきた人たちが何人かいる。私の中にも「福島は危ない」という気持ちが全くないわけでは無い。

 ただ、広島も原爆で廃墟になった時に「75年間は草木も生えない」と言われていたが、私はその広島で生まれ育ち、10数年の東京生活を経て再び広島に戻ってきた。東京の友人から「親から広島の人とは結婚するなと言われた」とか「修学旅行で広島駅に電車が停まった時は、放射能が怖いからみんな息を止めていた」という話を聞かされて悲しい思いをしたが、そんな被曝二世の私でさえ「福島は本当に大丈夫なのか?」と考えてしまう。

 福島が、広島や長崎のように復興できるのか、それともチェルノブイリのように汚染されたままなのか、安全とも危険とも断言できない状況を作り出してしまうことが放射能の怖さなのだ。復興支援活動を応援すべきなのか、早く逃げた方が良いと言うべきなのか、私自身が選びようのないジレンマに陥っている。それが被爆地ヒロシマに住む私の偽らざる心境だ。

悪の枢軸

 北朝鮮の金正日総書記が死んだ。重病説や影武者説など色々な噂はあったが、年末の慌ただしい時に、こうもあっさりと死去が報道されることに違和感を覚える。金正日が死んだとされる日に韓国の大統領が来日していたことからも推測できるように、韓国をはじめ西側の諜報機関は全く情報を得ていなかったようだ。

 かつてブッシュ元大統領が「悪の枢軸」と呼んだ3つの国のうち、カダフィ大佐ひきいるリビアに次いで2国目のトップがこの世を去った。最後に残ったイランも、ひょっとしたら年内に何かがあるかもしれない。

 ビンラディン・カダフィ大佐・金正日とアメリカが嫌っていた指導者が次々とこの世を去ったのだが、アメリカを代表とした民主主義が勝利したという安堵感は全くない。株価も一時的には下がったものの、大きな変化は見られなかった。それよりも欧州危機や世界的な不況の方が深刻な問題なのだ。

 ビンラディンや金正日がいなくなっても、テロの脅威はむしろ高まっている。国家間の戦争は勝者と敗者をもたらすが、「敵」の姿が見えないテロとの戦いはどんどん泥沼化して行く。

 「憎しみは憎しみを生む」だけだ。

 時代は徐々に「正義か悪か」という二元論では割り切れなくなってきた。頑張れば豊かな暮らしが待っている、民主国家・資本主義こそが人々を幸せにする・・・そんな「かつての常識」も通用しない時代になったのだ。

 第2次世界大戦で負けた日独伊の枢軸国家は「悪」として語られ、都市に核爆弾を投下したアメリカは「善」として描かれている。そしてブッシュ元大統領が名指しした「悪の枢軸」も、世界の敵として扱われてきた。

 果たして未来の歴史は、今の時代をどう記載するのだろう。

Apple World

 Appleの快進撃が止まらない。亡くなったJobs氏は既に伝説になってしまったし、発売する商品が次々とヒットしている。AndroidのシェアがiOSを抜いたと言われているが、スマートフォンやタブレット端末の使い心地は、iPhoneやiPadの方が格段に優れている。

 この光景、実は十数年前にも見たことがある。

 パソコンと言えばNECのPC9801と言われていた時代に、Macは羨望の的だった。マウスを使ったグラフィックインターフェイスも斬新だったが、何より使う人の気持ちをくすぐる特別感を持っていた。まぁ、それだけ価格の方もべらぼうに高かったが。

 当時の表計算ソフトと言えばMultiplanが主流だったが、私はExcelが使いたくてMacをリースで購入した。16bitのMS-DOSマシンではExcelは使えなかったのだ。たしかページプリンタとマック&フォントで200万円位したと思う。5年リースを組んだのだが、4年間リース料を支払い続けている間にMacを含むパソコンの値段は急速に安くなり、4年払い終えて残り1年のとなった時、リース残金よりも最新マシンを買った方が安い時代になってしまった。

 MS-DOSマシンの世界では、パソコンを買った人のことを「ユーザー」と呼び、取扱説明書には「ユーザーガイド」と書かれている。それがAppleの場合、箱を開くと、まず最初に「オーナー様へ」という言葉が飛び込んでくる。説明書も「オーナーズブック」だし、何より驚いたのは、パソコンには何の関係も無い「リンゴマークのステッカー」が入っていたのだ。

 イギリスで「Apple製品の購入者の心理は、商品の使用者というよりも信者に近い」という調査結果が発表されていたが、買った時や使っている時の「満足感」が全く違う。Windowsマシンでエラーが出たら腹が立つが、Macで爆弾マークが出ても可愛く思えるから不思議だ。

 そんな私が「Apple Magic」から冷めたのは、Windowsマシンの圧倒的な速さとコストパフォーマンスの高さからだった。Intelから新しい高性能CPUが次々に発表され、色々なメーカーからより早く、より安いパソコンが続々登場した。確かにMacの方が可愛いし使いやすかったけれど、仕事で使うのならば速くて安い方が良い。使える周辺機器が多かったのも大きな援軍となり、パソコン市場はあっと言う間にWintel(Windows+Intel)が大多数を占めることになった。

 今の「Android vs iOS」の戦いを見ていると、かつての「Microsoft vs Apple」の構図によく似ている。今年の春までは圧倒的にiOSのパフォーマンスが高かったが、Andoroidがバージョンアップし、各メーカーが次々と新しいCPUを搭載することで、その差は一気に縮まってきている。

 現時点では使い勝手はiOSの方がまだ上だが、iPadやiPhoneに出来てAndroidに出来ないことは少なくなった。AppleもOSのバージョンアップをして行くだろうが、ごく近い将来、圧倒的に参加メーカーが多いAndroidがシェアを拡大して行くことは間違いない。

 かつてのApple信者だった者から見ると、圧倒的な発想力の違いから生まれているオーナーの心をくすぐるギミックには未練が残っているが、Appleが目指している独善とも思える排他的な世界に取り込まれることが怖くてたまらない。

 Steve Jobs氏が目指していたAppleの世界は、昔、街角で「あなたは神を信じますか?」と言われて見せられた本に出てくるユートピアのような印象を受ける。その世界には悪人=ウイルスはなく、みんな快適で幸せな暮らしを満喫している。確かに素晴らしい世界なのだが、私は誰かが作り出したユートピアやディズニーランドのような「夢の国」で暮らしたいとは思わない。

 Appleの商品は、かつてのSONYのように「ブランド力が強いあこがれのメーカー」であるくらいが丁度良い。

 Appleは最強の会社であって欲しいが、最大の会社にはなって欲しくない。

忙しい人

 忙しい忙しいと言いながら仕事をしている人がいる。かつて私もそうだったが、自分で「忙しい」と言っている人こそ、意外と自分で無駄な仕事を作り出して、勝手に忙しがっていることが多い。分刻みのスケジュールで動いている「本当に忙しい人」は、総理や大企業のトップなど、日本の中でもごく限られた超VIPだけだ。

 自分で忙しいと言っている人(昔の私を含む)の多くは、仕事の目的を見失って、仕事のための仕事を作り出している。どうすれば売上に結びつくのか、業務改善につながるのかという具体的な施策を導き出せない調査など、どんなに期間とお金をかけて立派な分析報告書を作成しても、民間企業では何の役にも立ちはしない。

 仕事の目的を明確にして段取りさえうまくやれば、大変そうに見える仕事も意外と短時間で出来たりする。

 仕事を難しくしているのは、案外「自分」であることが多い。

 明石家さんまの番組を観ていると、話がどんどんそれていって、結論まで行かないで終わることが多い。時々「で、あの話はどうなったんだ?」と思うのだが、彼は「笑いを取る」ことだけに焦点を絞っているので、話が面白ければ結論などどうでも良いのだ。

 企画書を作るためにあれこれ数字をいじっていると、面白そうなデータに出くわすことがある。ついついそのデータを使いたくなるのだが、そのために結論が不明確になることが多い。企画書も仕事も「シンプル・イズ・ベスト」なのだ。

 どんなに面白いデータも、企画を通すことに関係なければスッパリと切り捨てる。目的を明確にして無駄なものを切り捨てる勇気を持てば、自分が想像している以上に「時間」は作り出すことが出来る。

テレビの品質

 普通の会社は、経営状況が悪くなったら、まず最初に間接経費の削減からはじめて、続いて人件費、そして最後の最後に自社商品の質を落とさないようにコストダウンできないか考える。商品の質を落とすと客離れが一層進行し、ますます赤字幅が広がることくらい容易に想像できるから、下請けをいじめることはあっても商品の質を落とすような事はしない。

 それなのにテレビ局は、経費や人件費の削減よりも、真っ先に自社商品である「番組」の制作費を削っているようだ。3〜4時間スペシャル番組など、昔はお正月くらいしか見ることはなかった。それが今は、各局ともに平気で超ワイド特番を流すようになっている。

 赤信号、みんなで渡れば怖くない、ということか。

 テレビくらいしか観るコンテンツが無かった昔ならそれで通ったかもしれないが、今はレンタルビデオもあればネットもある。テレビの総視聴率がどんどん低下していると騒いでいるが、普通のビジネス感覚で考えたら「当然の帰結」だ。

 経費や人件費に手をつけないで商品の質を落としたら,客が離れることくらいビジネスマンなら誰でも知っている。おそらく出演しているタレントさんも現場にいるディレクターやスタッフさんたちも「何かがおかしい」と首をひねりながら番組を作っているのだと思う。

 そういえば私も、今の日本や世界の動きを「何かおかしい」と思いながら毎日を過ごしている。何かが変だ。こんな状態がいつまでも続くわけがない。

損切り

 日経新聞のネットに「夢の原子炉にかけた1兆円は無駄なのか」という記事が掲載されていた。高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉にするかどうか議論されていることを報道した記事のタイトルだが「1兆円かけたのだから」と成算も無くズルズル研究を続けて行くことの方が、よほど無駄なような気がする。

 このニュースに接したのは、たまたま昨日、NHK大河ドラマ「坂の上の雲」の二○三高地を見た後だった。乃木大将率いる第3軍は旅順の要塞に総攻撃をかけ、多くの戦死者を出しながら、「このまま攻撃を止めたら先に死んでいった者に顔向けできない」という理由で、あくまでも正攻法の戦いを挑み続けた(この時代の歴史はあまり勉強していないので史実は違うかもしれない)。結局、攻撃目標を二○三高地に変更して最終的に旅順も攻略するのだが、「これだけやったのだから」と固執していると、損害がどんどん大きくなることが多い。

 もんじゅのニュースや旅順攻撃などを見ていたら、昔、株(格好良く言うとトレーディング?)をやっていた時に良く聞いた「損切り」という言葉を思い出す。

 私自身、もう少し我慢すれば買値まで株価が戻るんじゃないかと期待して、なかなか損切りが出来なかった。でも、どこかで踏ん切りをつけないと泥沼にはまってしまうのだ。

 原子力発電も、そろそろ「損切り」する時期に来ているような気がする。

 とはいえ、日本のお家芸だった薄型テレビから日本のメーカーがどんどん撤退して行く姿を見ると、少し悲しい。それ以上に、会社の存続をかけて大胆な「損切り」をしている民間企業と、公共工事に莫大な予算をつぎ込み続けているお役所の『違い』を見せつけられることの方が、もっと悲しい。

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